Hugging Faceのブログで、ちょっと面白い記事を見かけた。
「Amazing Digital Dentures」というハッカソンプロジェクトの話で、要は壮大に失敗した記録だ。
Nemotron 30bというモデルでThree.jsのゲームを自動生成しようとしたけど、うまくいかなかった。
最終的に「シンプルなHTMLトイメーカー」に落ち着いたらしい。
読んでいて、正直、笑えなかった。
これ、自分にすごく重なるところがあって。
Midjourneyを使い始めて2年になる。
最初は恐る恐る、ロゴのアイデア出しに使ってみた。
クライアントのムードボードを作るとき、自分でスケッチを描く前に10枚ほど生成してみる、みたいな使い方。
そのくらいの距離感が、当時の自分には心地よかった。
でも去年の秋ごろ、ちょっと欲張ってみた。
ブランディング一式を受けていたカフェの案件で、パッケージのグラフィックをAdobe Fireflyにかなり任せてみたんだ。
色の組み合わせ、テクスチャのパターン、書体の雰囲気、ぜんぶプロンプトで試してみた。
出てくるものは、たしかにきれいだった。
それなりに洗練されていて、クライアントも喜んでくれた。
ただ、提案資料を作りながら、ひとつ引っかかることがあった。
「これ、私が考えたものって言えるか?」という感覚。
変な話だけど、自分の仕事をしている気がしなかった。
誰かが生成したものを選んで、整えて、渡しただけのような気分。
Hugging Faceの記事で、開発者がゲーム生成を試して、何度やってもうまくいかなくて、最後に「シンプルなHTMLを作るツール」に縮小した話。
その諦め方が、なんか共感できた。
全部やらせようとして、全部はできなくて、できる範囲だけ残る、という経緯。
デザイナーとして独立してから5年。
自分の強みって何か、たまに考える。
美術館で版画を見て「このドライポイントの線のかすれ方、あのクライアントの世界観に合う」と思う感覚。
活版印刷のワークショップに行って、インクの重さと紙の関係を指で確かめる時間。
そういうところから、提案の言葉を引っ張ってきていた。
AIに全部任せると、そのルートが消える。
プロンプトを書くのはうまくなるかもしれないけど、感じ取る練習はできない。
ちょっと怖い、というのが正直なところだ。
パートナーに話したら「でも全部手作業でやってたら、そもそも仕事の量が回らないでしょ」と言われた。
それはそう。実際そう。
週に複数案件を並行するとき、MidjourneyやFireflyがなかったら、アイデア出しだけで丸一日かかる。
使わないと競合に負ける、というのは現実として感じている。
でも全部任せると自分が消える。
このふたつが、ずっと自分の中で交互に主張してくる。
あの記事で一番印象に残ったのは、失敗をそのまま書いていることだった。
うまくいかなかったこと、試したけど動かなかったこと、諦めて縮小したこと。
それを「ハッカソンのプロジェクト記録」として出していた。
自分はどうだろう、と思った。
うまくいかなかったAI活用の話、クライアントにしたことがない。
「Midjourneyで方向性を出しました」とは言うけど、「生成してみたら違和感があって全部やり直しました」は言わない。
言えない理由は、たぶんこっちが引いている感覚を見せたくないから。
AIを使いこなしているデザイナーに見せておきたい、という見栄。
ただ、本当に信頼できるクライアントには、もう少し正直に話してみようかと思っている。
このくらいのルールを、自分の中で決め直そうとしている。
AIが出してくるものを「素材」として扱う、という距離感。
あの記事の開発者が「全部やらせるのは無理だった、できることだけ残した」という落とし所に至ったのと、構造は同じかもしれない。
自分がどこにいるか、たまに確かめないと、気づいたときには薄くなっている。
それが一番、怖い。
「Amazing Digital Dentures」というハッカソンプロジェクトの話で、要は壮大に失敗した記録だ。
Nemotron 30bというモデルでThree.jsのゲームを自動生成しようとしたけど、うまくいかなかった。
最終的に「シンプルなHTMLトイメーカー」に落ち着いたらしい。
読んでいて、正直、笑えなかった。
これ、自分にすごく重なるところがあって。
「全部任せてみよう」と思った日
Midjourneyを使い始めて2年になる。
最初は恐る恐る、ロゴのアイデア出しに使ってみた。
クライアントのムードボードを作るとき、自分でスケッチを描く前に10枚ほど生成してみる、みたいな使い方。
そのくらいの距離感が、当時の自分には心地よかった。
でも去年の秋ごろ、ちょっと欲張ってみた。
ブランディング一式を受けていたカフェの案件で、パッケージのグラフィックをAdobe Fireflyにかなり任せてみたんだ。
色の組み合わせ、テクスチャのパターン、書体の雰囲気、ぜんぶプロンプトで試してみた。
出てくるものは、たしかにきれいだった。
それなりに洗練されていて、クライアントも喜んでくれた。
ただ、提案資料を作りながら、ひとつ引っかかることがあった。
「これ、私が考えたものって言えるか?」という感覚。
変な話だけど、自分の仕事をしている気がしなかった。
誰かが生成したものを選んで、整えて、渡しただけのような気分。
Hugging Faceの記事で、開発者がゲーム生成を試して、何度やってもうまくいかなくて、最後に「シンプルなHTMLを作るツール」に縮小した話。
その諦め方が、なんか共感できた。
全部やらせようとして、全部はできなくて、できる範囲だけ残る、という経緯。
使いすぎると輪郭がぼやける
デザイナーとして独立してから5年。
自分の強みって何か、たまに考える。
美術館で版画を見て「このドライポイントの線のかすれ方、あのクライアントの世界観に合う」と思う感覚。
活版印刷のワークショップに行って、インクの重さと紙の関係を指で確かめる時間。
そういうところから、提案の言葉を引っ張ってきていた。
AIに全部任せると、そのルートが消える。
プロンプトを書くのはうまくなるかもしれないけど、感じ取る練習はできない。
ちょっと怖い、というのが正直なところだ。
パートナーに話したら「でも全部手作業でやってたら、そもそも仕事の量が回らないでしょ」と言われた。
それはそう。実際そう。
週に複数案件を並行するとき、MidjourneyやFireflyがなかったら、アイデア出しだけで丸一日かかる。
使わないと競合に負ける、というのは現実として感じている。
でも全部任せると自分が消える。
このふたつが、ずっと自分の中で交互に主張してくる。
「失敗の記録」を公開することの誠実さ
あの記事で一番印象に残ったのは、失敗をそのまま書いていることだった。
うまくいかなかったこと、試したけど動かなかったこと、諦めて縮小したこと。
それを「ハッカソンのプロジェクト記録」として出していた。
自分はどうだろう、と思った。
うまくいかなかったAI活用の話、クライアントにしたことがない。
「Midjourneyで方向性を出しました」とは言うけど、「生成してみたら違和感があって全部やり直しました」は言わない。
言えない理由は、たぶんこっちが引いている感覚を見せたくないから。
AIを使いこなしているデザイナーに見せておきたい、という見栄。
ただ、本当に信頼できるクライアントには、もう少し正直に話してみようかと思っている。
- Midjourneyはアイデア出しとムードボードに使う
- Adobe Fireflyは素材探しとカラートーンの確認に限定する
- 最終的な形はかならず自分の手で整える
このくらいのルールを、自分の中で決め直そうとしている。
AIが出してくるものを「素材」として扱う、という距離感。
あの記事の開発者が「全部やらせるのは無理だった、できることだけ残した」という落とし所に至ったのと、構造は同じかもしれない。
自分がどこにいるか、たまに確かめないと、気づいたときには薄くなっている。
それが一番、怖い。