OpenAIがAcademyのコースを新しく出したらしい。「仕事でAIを使うための実践スキル」「繰り返せるワークフローの作り方」「エージェントの業務活用」の3本立て。SNSで流れてきたのをちらっと見て、正直、複雑な気持ちになった。
「AIの使い方を学ぶ」というのはわかる。でも、デザイナーがAIの使い方を体系的に習うって、どういうことなんだろう。と、しばらく考えてしまった。
Midjourneyはもう2年以上触っている。Adobe Fireflyも仕事で使い始めて半年くらい経つ。最初は「こんなに速く出せるのか」と驚いた。ロゴの方向性を探るとき、10案を一瞬で出せるのは確かに便利だ。クライアントへのプレゼン前日に「やっぱりもう少しナチュラルな雰囲気で」と言われても、以前ほど慌てなくなった。
でも、ちょっと怖いと感じ始めたのはわりと最近だ。出てきたものを「いいな」と思う瞬間が増えてきた。それ自体は悪いことじゃない。ただ、自分が何を「いい」と判断しているのか、根拠が薄くなってきている気がする。AIが出した案に、自分の感覚が少しずつ引っ張られているような。
先月、あるカフェのブランディング案件があった。クライアントは「温かみのある、でも洗練された感じ」を求めていた。いつも通りFireflyで方向性を出して、そこから手を入れていったのだが、途中でパートナーに見せたら「なんか最近の林のデザイン、似てきてない?」と言われた。ちょっと言葉に詰まった。
OpenAIのコースで強調されているのが「繰り返せるワークフロー」だ。効率化という意味では合理的だ。でも、デザインの仕事ってそもそも、毎回違うものを作るためにお金をもらっている。ワークフローを固めることが、自分の表現の型を固めることと、どこで違いが出るんだろう。迷う。
活版印刷が趣味なのは、たぶんその感覚を守りたいからだと思う。版を一字一字組む、あの物理的な手間。失敗したらやり直せない制約。AIとは真逆の行為だ。でも、その制約の中で生まれるものが好きで、だからこそ仕事でも「自分の目と手が介在した感覚」を手放したくない。
OpenAIのコースを批判したいわけじゃない。エージェントの業務活用とか、ワークフロー設計とか、使いこなせれば明らかに強みになる。使わなければ競合に仕事を取られる。それはわかっている。フリーランス5年目、そのリアルは骨身に染みている。
ただ、「AIの使い方を学ぶ」という姿勢に乗っかりすぎると、自分がAIのオペレーターになる気がする。ツールを使う人ではなく、ツールの仕様に合わせて動く人に。それがちょっと怖い。
今自分がやりたいのは、AIと対話するような使い方だ。出てきたものを鵜呑みにしない。気に入らなければ何がどう違うのか言語化して、自分の感覚を鍛える材料にする。Midjourneyで出た案に「これじゃない」と感じたとき、その「じゃない」の中身をちゃんと掘る。そういう使い方を続けることで、自分の目が育つと信じたい。
パートナーに「似てきてない?」と言われた日、少し悔しかった。でも正直、気づかせてもらってよかった。あの一言がなければ、気づかないまま流されていたかもしれない。
学ぶなら、ツールの使い方より、ツールに飲み込まれないための自分軸を先に言語化する方が、今の自分には合っている気がする。
「AIの使い方を学ぶ」というのはわかる。でも、デザイナーがAIの使い方を体系的に習うって、どういうことなんだろう。と、しばらく考えてしまった。
自分を使う側でいたい、という感覚
Midjourneyはもう2年以上触っている。Adobe Fireflyも仕事で使い始めて半年くらい経つ。最初は「こんなに速く出せるのか」と驚いた。ロゴの方向性を探るとき、10案を一瞬で出せるのは確かに便利だ。クライアントへのプレゼン前日に「やっぱりもう少しナチュラルな雰囲気で」と言われても、以前ほど慌てなくなった。
でも、ちょっと怖いと感じ始めたのはわりと最近だ。出てきたものを「いいな」と思う瞬間が増えてきた。それ自体は悪いことじゃない。ただ、自分が何を「いい」と判断しているのか、根拠が薄くなってきている気がする。AIが出した案に、自分の感覚が少しずつ引っ張られているような。
先月、あるカフェのブランディング案件があった。クライアントは「温かみのある、でも洗練された感じ」を求めていた。いつも通りFireflyで方向性を出して、そこから手を入れていったのだが、途中でパートナーに見せたら「なんか最近の林のデザイン、似てきてない?」と言われた。ちょっと言葉に詰まった。
「ワークフロー」に乗ることの危うさ
OpenAIのコースで強調されているのが「繰り返せるワークフロー」だ。効率化という意味では合理的だ。でも、デザインの仕事ってそもそも、毎回違うものを作るためにお金をもらっている。ワークフローを固めることが、自分の表現の型を固めることと、どこで違いが出るんだろう。迷う。
活版印刷が趣味なのは、たぶんその感覚を守りたいからだと思う。版を一字一字組む、あの物理的な手間。失敗したらやり直せない制約。AIとは真逆の行為だ。でも、その制約の中で生まれるものが好きで、だからこそ仕事でも「自分の目と手が介在した感覚」を手放したくない。
OpenAIのコースを批判したいわけじゃない。エージェントの業務活用とか、ワークフロー設計とか、使いこなせれば明らかに強みになる。使わなければ競合に仕事を取られる。それはわかっている。フリーランス5年目、そのリアルは骨身に染みている。
習うのではなく、対話したい
ただ、「AIの使い方を学ぶ」という姿勢に乗っかりすぎると、自分がAIのオペレーターになる気がする。ツールを使う人ではなく、ツールの仕様に合わせて動く人に。それがちょっと怖い。
今自分がやりたいのは、AIと対話するような使い方だ。出てきたものを鵜呑みにしない。気に入らなければ何がどう違うのか言語化して、自分の感覚を鍛える材料にする。Midjourneyで出た案に「これじゃない」と感じたとき、その「じゃない」の中身をちゃんと掘る。そういう使い方を続けることで、自分の目が育つと信じたい。
パートナーに「似てきてない?」と言われた日、少し悔しかった。でも正直、気づかせてもらってよかった。あの一言がなければ、気づかないまま流されていたかもしれない。
学ぶなら、ツールの使い方より、ツールに飲み込まれないための自分軸を先に言語化する方が、今の自分には合っている気がする。