結論から言うと、スタートアップのCEOとして「使ったことを隠す」選択は基本的にしない。
ただし「常にすべて開示する」という立場でもない。文脈次第で判断している。
マッコーリー大学の哲学者2名がこのテーマを論文にまとめていた。
AIを使っていることを隠す背景として「AIを使うと能力が低いと見なされやすい」という研究結果が紹介されている。
その感覚は正直わかる。最初にClaudeをフル導入すると決めた2年前、共同創業者にすら少し言い出しにくかった。
うちでAIが入り込んでいる業務は多い。
投資家向けのデック素材の整理、セールスの初稿、採用メッセージのトンマナ調整。
この3つでClaudeをほぼ毎日使っている。
投資家とのやり取りでいえば、先月のタームシート交渉前にQAドキュメントをClaudeで整理した。
投資家はそのドキュメントの「読みやすさ」を評価してくれた。
AIを使ったとは言っていない。言う必要もないと思っている。
なぜか。そのQAの中身は全部自分が経験した事実だし、答えた判断も自分のものだ。
整理を誰がしたかより、内容の正確性と自分の意思決定を問われている場だ。
論文でいう「外部状態の欺瞞」には当たると思うが、ダナハー氏の分類で言えば軽微な方だろうと判断している。
一方、採用の文脈は少し違う。
候補者に送るオファーレターは今も自分で書く。
Claudeに構成を相談することはあるが、文面は自分の言葉に直してから送っている。
8名の会社でオファーを出すということは、相手の人生の選択に関わる話だ。
そこに「AIが書いた文章を自分の言葉として出す」のは、さすがに違和感がある。
論文の中で一番印象に残ったのが、弔辞の話だ。
長年の友人が葬儀でAIに書かせた弔辞を読み上げ、後でそれが判明したというケース。
受け手の印象が「大きく変わる」と論文は指摘している。
これは論文が言う「隠された状態の欺瞞」に近い。
弔辞に期待されているのは文章の品質じゃなく、「その人がその故人のために言葉を選んだ」という行為そのものだ。
価値の源泉がプロセスにある場面では、ツールの開示が変わってくる。
ビジネスに引き直すと、こういう判断軸が使えると思っている。
セールスのファーストコンタクトメールは前者寄り。
VCへのビジョンスピーチは後者寄り。
そう整理すると、うちの今のやり方はだいたい正しい線を引けている気がした。
論文に出てくるもう一つの研究が気になった。
「AIの支援を受けて書かれた文章だと明かすと、文章の評価が下がる」という話だ。
これはROIで考えると厄介な問題だ。
開示することでアウトプットへの評価が下がるなら、開示のコストが上がる。
倫理的に正しいとしても、人はコストを払いたくない。
結果として隠す選択が増える、という流れは構造的にわかる。
妻にこの話をしたら「それって洗い物を食洗機でやったって言いたくない心理と同じじゃない?」と言われた。
笑いながら、でもそのたとえは割と正確だと思った。
ツールを使った事実より、結果への貢献を認めてほしいという感情だ。
ただ経営者として思うのは、チーム内の話と外部への話は分けて考えた方がいい、ということだ。
社内でAI活用を評価する文化を作っておかないと、メンバーが「隠して使う」方向に流れる。
それは組織としてまずい。隠す理由がある環境を作ってしまっているということだから。
うちは全員がAIツールの使用実績をSlackで共有するルールにしている。
恥ずかしいことじゃなく、スキルとして扱う文化を意図的に作った。
この論文を読んで、その判断は正しかったと確認できた。
ただし「常にすべて開示する」という立場でもない。文脈次第で判断している。
マッコーリー大学の哲学者2名がこのテーマを論文にまとめていた。
AIを使っていることを隠す背景として「AIを使うと能力が低いと見なされやすい」という研究結果が紹介されている。
その感覚は正直わかる。最初にClaudeをフル導入すると決めた2年前、共同創業者にすら少し言い出しにくかった。
投資家へのデックとセールスメール、どこが違うか
うちでAIが入り込んでいる業務は多い。
投資家向けのデック素材の整理、セールスの初稿、採用メッセージのトンマナ調整。
この3つでClaudeをほぼ毎日使っている。
投資家とのやり取りでいえば、先月のタームシート交渉前にQAドキュメントをClaudeで整理した。
投資家はそのドキュメントの「読みやすさ」を評価してくれた。
AIを使ったとは言っていない。言う必要もないと思っている。
なぜか。そのQAの中身は全部自分が経験した事実だし、答えた判断も自分のものだ。
整理を誰がしたかより、内容の正確性と自分の意思決定を問われている場だ。
論文でいう「外部状態の欺瞞」には当たると思うが、ダナハー氏の分類で言えば軽微な方だろうと判断している。
一方、採用の文脈は少し違う。
候補者に送るオファーレターは今も自分で書く。
Claudeに構成を相談することはあるが、文面は自分の言葉に直してから送っている。
8名の会社でオファーを出すということは、相手の人生の選択に関わる話だ。
そこに「AIが書いた文章を自分の言葉として出す」のは、さすがに違和感がある。
「弔辞をAIで書く」という極端な例が刺さった理由
論文の中で一番印象に残ったのが、弔辞の話だ。
長年の友人が葬儀でAIに書かせた弔辞を読み上げ、後でそれが判明したというケース。
受け手の印象が「大きく変わる」と論文は指摘している。
これは論文が言う「隠された状態の欺瞞」に近い。
弔辞に期待されているのは文章の品質じゃなく、「その人がその故人のために言葉を選んだ」という行為そのものだ。
価値の源泉がプロセスにある場面では、ツールの開示が変わってくる。
ビジネスに引き直すと、こういう判断軸が使えると思っている。
- 相手が評価しているのが「結果の質」なら、AIを使ったかどうかは問われにくい
- 相手が評価しているのが「その人の思考や感情」なら、開示の重みが上がる
- 試験や審査など「能力そのもの」が問われる文脈では、非開示は欺瞞に近くなる
セールスのファーストコンタクトメールは前者寄り。
VCへのビジョンスピーチは後者寄り。
そう整理すると、うちの今のやり方はだいたい正しい線を引けている気がした。
「AIを使うと能力が低く見られる」は本当か
論文に出てくるもう一つの研究が気になった。
「AIの支援を受けて書かれた文章だと明かすと、文章の評価が下がる」という話だ。
これはROIで考えると厄介な問題だ。
開示することでアウトプットへの評価が下がるなら、開示のコストが上がる。
倫理的に正しいとしても、人はコストを払いたくない。
結果として隠す選択が増える、という流れは構造的にわかる。
妻にこの話をしたら「それって洗い物を食洗機でやったって言いたくない心理と同じじゃない?」と言われた。
笑いながら、でもそのたとえは割と正確だと思った。
ツールを使った事実より、結果への貢献を認めてほしいという感情だ。
ただ経営者として思うのは、チーム内の話と外部への話は分けて考えた方がいい、ということだ。
社内でAI活用を評価する文化を作っておかないと、メンバーが「隠して使う」方向に流れる。
それは組織としてまずい。隠す理由がある環境を作ってしまっているということだから。
うちは全員がAIツールの使用実績をSlackで共有するルールにしている。
恥ずかしいことじゃなく、スキルとして扱う文化を意図的に作った。
この論文を読んで、その判断は正しかったと確認できた。