Virgin Atlanticがモバイルアプリの開発にCodexを使って、ホリデーシーズンの締め切りに間に合わせたというOpenAIの記事を読んだ。ユニットテストのカバレッジがほぼ100%、P1バグはゼロ。正直、最初は「航空会社の話か」と流し読みしようとした。でも途中で手が止まった。
アプリの品質を担保するためにAIを使い、人間はその判断を確認する役割に回る。その構図が、自分の仕事とどこか重なって見えてしまったんだ。
フリーランスでロゴやブランディングをやって5年になる。MidjourneyもAdobe Fireflyも、正直かなり使ってる。参考イメージを出すのも、配色の方向性を探るのも、今はAIを挟むのが当たり前になった。スピードは確実に上がった。クライアントへの提案も、前より素早く幅広くできる。
でも、ある日ふと気づいた。自分がやっていることって、AIが出してきたものを「いい感じに整える」作業になってないか、と。
そのとき少し怖くなった。ちょっと怖い、というより、静かにひやっとした感じ。自分のデザインの判断軸がどこにあるのか、わからなくなりそうな感覚があった。
Virgin AtlanticのケースでいえばCodexが担ったのはコーディングとテストの部分で、サービスの方向性や体験設計は人間が握っていたはずだ。ただ、それってデザインの仕事でいう「コンセプトは自分が決める、手は機械に借りる」という理想の分担に見えて、現場ではじわじわと境界線がズレていく。
この話を同棲しているパートナーにしたら、「昔の職人さんも機械が入ってきたとき同じこと悩んだんじゃない?」と言われた。確かにそうかもしれない。活版印刷が好きで、たまにワークショップにも行くくらいだから、機械化と手仕事の関係は身近なテーマでもある。
でも活版印刷は、機械が入っても「手でやること」に価値が残った。デザインの場合、クライアントは別に「あなたの手」には価値を感じていないことが多い。成果物に価値を感じている。だとすると、AIが同じ成果物を出せるなら、自分に頼む理由はなくなるんじゃないかという迷いがある。
価格交渉の場でも、その不安は顔を出す。先月、中規模のECサイトのブランディングの見積もりを出したとき、「AIで作ればもっと安くできますよね?」と言われた。その言葉が頭に残っている。
正直、傷ついた。でも同時に、完全に否定もできなかった。
結局ここに戻ってくる。Virgin Atlanticの話でいえば、Codexは決められた仕様に対して最速・最高品質で動いた。ただ「その仕様をどう決めるか」「ユーザーにどんな体験を届けるか」は人間が悩んで決めた部分のはずだ。
自分の仕事でいうと、クライアントの話をじっくり聞いて、その会社や人の「らしさ」を言語化して、ビジュアルに変換するプロセス。ここはまだAIに全部は任せられない、と思っている。でも「思っている」と「実際にそうである」の間には、たぶんまだ開きがある。
美術館でいい作品を見たとき、自分の中に何かが積み重なる感覚がある。活版印刷の手触り、手芸をしながら考える時間。それが自分の判断軸を作っているんだと信じている。信じないとやっていられない、というのが正直なところだ。
AIが出してくる答えに「なんか違う」と言える自分でいるために、見る・触る・感じる経験を意識的に続けていくしかない。Virgin Atlanticがデッドラインに間に合ったことより、その話を読んで自分が何を怖いと思ったか、そっちのほうが今は気になっている。
アプリの品質を担保するためにAIを使い、人間はその判断を確認する役割に回る。その構図が、自分の仕事とどこか重なって見えてしまったんだ。
「ツールを使っている自分」と「ツールに使われている自分」
フリーランスでロゴやブランディングをやって5年になる。MidjourneyもAdobe Fireflyも、正直かなり使ってる。参考イメージを出すのも、配色の方向性を探るのも、今はAIを挟むのが当たり前になった。スピードは確実に上がった。クライアントへの提案も、前より素早く幅広くできる。
でも、ある日ふと気づいた。自分がやっていることって、AIが出してきたものを「いい感じに整える」作業になってないか、と。
そのとき少し怖くなった。ちょっと怖い、というより、静かにひやっとした感じ。自分のデザインの判断軸がどこにあるのか、わからなくなりそうな感覚があった。
Virgin AtlanticのケースでいえばCodexが担ったのはコーディングとテストの部分で、サービスの方向性や体験設計は人間が握っていたはずだ。ただ、それってデザインの仕事でいう「コンセプトは自分が決める、手は機械に借りる」という理想の分担に見えて、現場ではじわじわと境界線がズレていく。
パートナーに話したら「それって職人さんと同じ悩みじゃない?」と言われた
この話を同棲しているパートナーにしたら、「昔の職人さんも機械が入ってきたとき同じこと悩んだんじゃない?」と言われた。確かにそうかもしれない。活版印刷が好きで、たまにワークショップにも行くくらいだから、機械化と手仕事の関係は身近なテーマでもある。
でも活版印刷は、機械が入っても「手でやること」に価値が残った。デザインの場合、クライアントは別に「あなたの手」には価値を感じていないことが多い。成果物に価値を感じている。だとすると、AIが同じ成果物を出せるなら、自分に頼む理由はなくなるんじゃないかという迷いがある。
価格交渉の場でも、その不安は顔を出す。先月、中規模のECサイトのブランディングの見積もりを出したとき、「AIで作ればもっと安くできますよね?」と言われた。その言葉が頭に残っている。
正直、傷ついた。でも同時に、完全に否定もできなかった。
じゃあ「自分にしかできないこと」ってなんだ
結局ここに戻ってくる。Virgin Atlanticの話でいえば、Codexは決められた仕様に対して最速・最高品質で動いた。ただ「その仕様をどう決めるか」「ユーザーにどんな体験を届けるか」は人間が悩んで決めた部分のはずだ。
自分の仕事でいうと、クライアントの話をじっくり聞いて、その会社や人の「らしさ」を言語化して、ビジュアルに変換するプロセス。ここはまだAIに全部は任せられない、と思っている。でも「思っている」と「実際にそうである」の間には、たぶんまだ開きがある。
美術館でいい作品を見たとき、自分の中に何かが積み重なる感覚がある。活版印刷の手触り、手芸をしながら考える時間。それが自分の判断軸を作っているんだと信じている。信じないとやっていられない、というのが正直なところだ。
AIが出してくる答えに「なんか違う」と言える自分でいるために、見る・触る・感じる経験を意識的に続けていくしかない。Virgin Atlanticがデッドラインに間に合ったことより、その話を読んで自分が何を怖いと思ったか、そっちのほうが今は気になっている。