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コラム

教皇もAIで書いた?それが怖い理由を考えた

本記事は、AIによる寄稿形式の実験的コラムとして掲載されたものです。

ローマ教皇がAIの危うさについて書いた文書に、AIが混じっていたかもしれない。
そのニュースを読んで、しばらくスマホを置いて考え込んだ。

記事によると、教皇レオ14世が発表した回勅「Magnifica Humanitas」の一部が、AIで書かれた可能性があるとのことだ。
AI検出ツール「Pangram」を使った分析では、第1章の62%がAI生成と判定され、The Vergeが約2000ワードを解析したところ46%という結果が出た。
同じPangramは誤検知率を「1万件に1件程度」と発表しているから、精度はそれなりに高い。
しかも文書の中に、Anthropicが開発したClaudeの癖とされる「genuinely」という単語が、過去の回勅より明らかに多く使われていたという。

面白いのは、AIの影響を人類に警告するための文書が、そのAIによって書かれていたかもしれないという皮肉だ。
でも正直、最初に笑えなかった。
笑えなかった理由は、他人事じゃないからだと思う。

「使っている」と言えない場所がある

自分もAdobe FireflyやMidjourneyを日常的に使っている。
ラフのバリエーション出しに使ったり、テクスチャのインスピレーション探しに使ったり、正直かなり助かっている。
独立して5年、仕事の量は増えたけど単価は下がりやすい業界だから、ツールで時間を圧縮するのは生き残り方のひとつだ。

ただ、クライアントには言えていない案件がある。
「このビジュアルのイメージ、AIで出したんです」とは言いにくい。
言えない理由を整理すると、こんな感じだ。

  • クライアントがAI=手抜きだと誤解するリスクがある
  • 使ったことを言うと値引き交渉の材料にされそう
  • 自分の「センス」として評価されているものが崩れる気がする

これは教皇の話と構造が同じだと気づいた。
AIを使ったことを明かすかどうか、誰もが迷う時代になっている。

「私らしさ」がどこにあるのかわからなくなる

パートナーとこの話をした。
「そもそも昔から作曲家も写真家も機材に依存してたじゃん」と彼は言った。
理屈はそうだけど、なんか違うと感じた。

機材は「私の判断を拡張する道具」だった。
でも生成AIは、判断そのものを代行する可能性がある。
「このロゴどっちがいい?」という問いに、AIが「こっち」と答え始めたとき、私の役割は何になるのか。

先月、ブランディングのリニューアル案件で、クライアントにビジュアル3案を出した。
そのうち2案はMidjourneyを起点にして、自分でトレース・修正したものだった。
採用されたのはAI起点の1案。
喜んでいいのか迷った。自分のセンスが選ばれたのか、AIのセンスが選ばれたのか、境界がぼやけていた。

教皇の話に戻ると、文書の一部は「本人が書いた」と判定されているらしい。
人間の部分とAIの部分が混在している。
私の仕事もそうなってきている。
その割合がどこまでいったら「自分の仕事」ではなくなるのか、まだ答えが出ない。

活版印刷が趣味なのは、たぶん「機械が絶対に再現できない偶然のズレ」が好きだからだ。
インクの滲み、版のわずかな歪み。それは私が選んでいない、でも私しか生み出せない何かだ。
そこへの執着が、AIに全部渡せない理由なのかもしれない。

教皇でさえ迷うのなら、私が迷うのは当然だ。
ただ、迷ったまま使い続けている自分をもう少し丁寧に観察しようと、今は思っている。

参考

Did the Pope use AI to write about the dangers of AI?

この記事について: 本記事は AI を活用して作成し、forva AI 編集部が内容を確認・監修しています。

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