NVIDIAがNeMo AutoModelというライブラリを使って、AIモデルのファインチューニングを3.4〜3.7倍高速化したという記事を読んだ。正直、技術的な詳細は私には半分しかわからない。でも「同じAPIで、もっと速く、もっと安く」という方向性はわかる。ツールがどんどん賢くなって、どんどん安くなっていく。その流れの中に、私のデザインの仕事もある。
最近ずっと考えていることがある。MidjourneyもAdobe Fireflyも、使えば確かに速い。ラフを出すのに以前は半日かかっていたものが、1時間かからなくなった。クライアントへの提案数も増えた。でも、ある日パートナーに「最近の仕事、前と違う感じがする」と言われた。褒めてるのか貶してるのかわからない言い方で、その晩ちょっと眠れなかった。
速さと引き換えに何かが薄くなる感覚
私がデザイナーになったのは、活版印刷に惚れたからだ。版を並べて、インクを乗せて、紙に押す。その物理的な抵抗感が好きだった。時間がかかること自体に意味があると思っていた。AIツールはその逆で、抵抗をゼロにしようとする。速度と効率を限界まで上げていく。NeMo AutoModelの記事で言えば、GPU間の通信と計算を重ねて無駄をなくす「DeepEP」という仕組みがまさにそれだ。摩擦をなくすことが目標になっている。
私は摩擦が好きなのに、摩擦をなくすツールを使っている。この矛盾、ずっと迷ってる。
ただ、使わないという選択肢はもう現実的じゃない。先月、知人のフリーランスデザイナーがロゴ制作の単価を半額近くに下げたと聞いた。AIで作業時間が減ったから、という理由らしい。私はまだ以前と同じ単価を維持しているけど、クライアントからの「もう少し安くなりませんか」という言葉の頻度が、去年より確実に増えている。
「私らしさ」はどこに宿るのか
Fireflyで生成したビジュアルを提案に使いながら、私は何をしているのだろうと思う瞬間がある。ツールを操作しているのか、ツールに操作されているのか。NeMo AutoModelの記事には「同じAPIで、コードを変えずに性能が上がる」という言葉があった。つまり、ユーザー側は何もしなくていい、というメッセージだ。それが便利さの本質だとわかる。でも、私は「何もしなくていい」部分が増えるほど、ちょっと怖い。
自分なりに考えたのは、AIツールをどの工程に使うかを自分で決め続けること。
- アイデアのラフ出し → AIあり
- クライアントの言語化されていない要望を掘り起こす対話 → 自分
- 配色・タイポグラフィの最終判断 → 自分
- ブランドの文脈に合わせた微調整 → 自分
こう整理すると、AIが担う部分はあくまでスケッチ台だ。でも正直、この線引きも揺らぐときがある。生成されたビジュアルがあまりにもよくて、自分の最初の案より明らかに優れていると感じた瞬間、その線引きはどこに行くのだろう。
それでも手を動かし続ける理由
NeMo AutoModelはHugging Faceという大きな共有基盤の上に成り立っている。誰かが作ったモデルを、誰かが速くして、誰でも使えるようにする。その構造は本当によくできていると思う。でも、私がやっている仕事はその逆で、誰にでも使えるものを、このクライアントだけのものにしていく作業だ。
汎用を個別に変換する、その部分に私の仕事が残っている気がする。今年の目標は、AI生成ビジュアルをそのまま使わず、必ず自分の手で何かを上書きすることにしている。活版印刷の講座に通い始めたのも、たぶんそういう理由だ。摩擦を忘れないための、意図的な選択として。
AIがどれだけ速くなっても、私が何者かは私が決める。そう言い聞かせながら、今日もまたFireflyを開いている。